川越 松江塾 親ブログ

―ずっと一緒に歩いてきたね。昔は前、今は隣、もうすぐ後ろ、そのうち川の向こう側―

自分は、子どもを、言葉で、思いっきり殴っていたかもしれない、と気づいた話

会社で、後輩社員に、言葉で、思いっきり殴られた

自分の正しさを主張する気にあふれ、私を非難する気満々の、容赦のない打撃だった

 

テレワーク中に、ネットワークツール上の会話で、殴られた後、

そのときは、たまたま、ごーまじ先生に、

ご相談の LINE 投稿を 書いていた

 

言葉で、殴られて、気が付いた

 

よくよく振り返ると、私も、息子を、言葉と口調で、殴ってたよね

 

「やるべきことをやっていない」 とか
「動画ばかり見ているんじゃない」 とか
「課題の提出、遅れているんじゃないの」 とか
「いつ勉強を始めるんだ」とか
定期テストの勉強はしているのか」とか

 

そう気づいたら、相談ではなくて、気付いたことを書いていた

 

「まず、子も子なりに頑張っているのだから、努力を認めて、『安心させる』こと」にもっと注意を払うべきではないか、と思い始めました。

ゲームや動画で時間を消費することで、いやなことから逃避する、気を紛らわせているのではないか、と感じられたからです。

学校で気を使って疲れてきた状態から家で「安心感」で復帰させて、落ち着いた状態で「やるべきこと」に向かわせるようにしたほうがよいのではないか、と思うようになりました。

受験という枷がはずれて学習習慣が緩んだことは事実ですが、
高校という環境が自分と今一つ合わず、ストレスを感じながら通わざる得ない場合は、まずは、その取り除きようのないストレスを、家で緩和させて落ち着かせて「やるべきこと」に取り組ませる、そのほうが、我が子の場合はよいのではないかと思いました。

 

家を「安心」できるところにすること、

我が子の器にあった取り組みを、我が子が始めるには、

まず、「安心」を得られる場所を、子どものために用意しよう

 

 

現代の「働く」というのは、全員が「奉公人(労働と引き換えに金銭を得る)」なのか、と思った話

歴史や考古学に詳しくないから、自分が今まで読み聴きしたことに基づいて、ただの想像で書いています

 

人や物の行き来が、ほぼ人力のみで、都市部ではないところでの話しです

 

おそらく、

「物を買う (他者が作った物を、金銭を媒介にして手に入れる)」ことは、

ほとんどなくて、

あっても、

「自分が作った物と、他者が作った物を物々交換する」

くらいだったのではないか

 

そのような生活では、

「働く」ということは、

「他者の役に立つことをして、対価 (金銭・食い扶持) を得る」という考えは、

ほとんどなかったのではないか

 

あったとしても、

自分一人ではできない大規模な作業を近隣の人たちと協力してする

つまり、

「お互い様」で「労力・労働を提供しあう」

くらいだったのではないか

 

だから、昔は、

人が「働く」ということは、「物を買う」ためではなかった

のではないか

 

もしそうだとしたら、

そのような暮らしの中で学ぶべきことは、

自分の 食べ物、着るもの、住まいを 自分で作る、手入れするための 知識や技能

自分と家族の健康を守るための 知識や技能

だっただろう

 

親が子に、「生きるために必要だから身に着けさせること」は、

 あの林の大岩のところに、秋に出るキノコは食べられる とか

 あの山の雪が解けて三日月形に山肌が見えるようになったら、種まき時だ とか

 家の柱が腐らないように、晴れている日は 家に風を通せ とか

「自分の衣食住のためにすること」であって、

 

そこには、

「他人がどう思うか」、

「他人がどう感じるか」というような

「他者を意識する」視点はなかったのだろうな、

と思った

 

なんで、こんなことが気になったのかというと、

現代の「働く」は、常に、「他者がどう思うか」「他者の評価」を気にしないといけないからだ

 

労働と引き換えに金銭をもらう、ということは、

自分の労働を「他者がその労働を評価して、評価の良し悪しに対応した対価を支払う」ことになる

 

親が子に「生きるために必要だから身に着けさせること」も、

「他者から評価されて高い報酬が得られること」

になりそうだ

 

もっと考察が深められそうだけど、今は、ここまでにしておこう

 

 

現代の生活は、どこで生きようが、ある程度の金銭は必要になってしまうから、

実家が太くない限りは、

「他者に評価されるように生きること」

をやらざるを得ないのか、

と思ったら、

ものすっっっっっっっごく、疲れてきた

 

 

自分は世の中を引っ張っていると信じている人たちは、土台を支える仕事の価値をどう思っているか、と思った話

最近、教育熱が高く、頭のいいお子さんを育てる話を聞くのが嫌になっている。

その理由の一つは、私自身が、「世の中を引っ張る人」をいくら優秀に育てても、社会は安定しそうもないなぁと思い始めているから

 

知人の知人の話し

 

ある士業の中堅の事務所さんだが、

事務員さんの退職が止まらないそうだ

 

頭のよく、「先生」と呼ばれる資格を持ち、クライアントの信頼もおそらく厚いであろう方々の定着率はそこそこだそうだが、

5,6年位前から、事務員の方が、次々と辞めているとのこと

 

以前は、ベテランの方がいて、「先生」の方々はクライアントのほうだけをほぼ見て仕事をしていても、特に問題はなかったようだが、

今は、事務を担う方に、入社後1年以上の方がほとんどいない状態になり、仕事がかなり混乱しているそうだ。

 

クライアントからすれば、

どこの「先生」の事務所を使うかは、「先生」の能力だけで評価する
事務の仕事など、ミスがないのがほぼ当たり前

と思っていらっしゃるだろう

 

事務所の経営を考える立場の人たちは、何を重視しているのだろうか
と、この話を聴いて、ふと思った

 

 

私は、
日本の国が、世界でも指折りの 「清潔で」 「安全で」 「快適で」 「便利」 なところ*1
だと思っている

それを支えているのは、
トップ層が優秀だからではなく、
トップ層以外の人たちが、それなりに優秀で、かなり勤勉で、真面目だから
だと思っている

 

私は
そう思っている

 


子どもにも
私はそう思う
と伝えている

 

 

 

高校生とは言っても、エンジンがかかって走りのペースがつかめるまでは手も離せないと思った話

いつぞやの親単科、
高校生からの大学受験報告で、
 「勉強しろ」と言われるとやる気をなくす
という話があった

 

新高1の息子
合格発表から、高校生活開始3周目の今まで、
様子を見ていた

 

英語 毎日シリーズ+三語短文 と 数学 白チャートをコツコツやってきたけど、
春休みに、親抜きで2泊、祖父母宅に外泊したら、
気が抜けたようで、
自発的にはやらなくなった

自学第一・薄皮一枚の松江塾は、中3から入った
だから自学習慣もがっつりは身に着いていない
目の前の高校受験と、志望校での3年間の生活がかかったからやっていただけ
そんな感じと、親は認識している

英語の毎日シリーズは、
親が印刷して、ファイリングしてやらせていたから、
状況は把握できていたので、
遅れ気味になりながらもなんとかやらせてきた

1週間くらいまえに、やっと追いついた

 

数学は、目が届きにくかった
本人の 「やっているよ」という、親の追及を回避するための嘘を受け入れてしまって、放置してしまった
松江塾の高校数学準備講座でやった範囲までは、
白チャートを独力で進めることができた

その先は、白チャートでは難しくなったようだ
子どもは、できないと思うと自信をなくして、「勉強していないから出来なくて当然」と逃げたがるタイプだ
そのまま、まったくやらないまま、1カ月過ぎた

 

学校から出される、数学の課題はやっていた

でも、その中には、土台をしっかり作るためのものではなく、
土台がないまま、柱を立てるような課題もあった

また、公立高校のペースで数学を進めていたら、
本人の志望大学の入試には間に合わないことも目に見えていた

だから、数学は自学で先取りしていくことが、絶対に必要だった

 

 

そこで、4日前から、数学は白チャートの自学を止めさせた

ありがたいことには、松江塾には、川越BASEという高校部があり、
ここでは、よこまく先生という受験のプロが、教材の「上滑り*1」を回避して、その子に合った学びの指針を与えてくださる

 

数学は、白チャートの2段階くらいまえの、横幕先生おすすめの○○○○○○*2というものに変えた

その教材で、
勉強が止まったところから、
数学の自学をやらせたら、
手を止めずに、30分間 集中して勉強していた

 

土曜日の、松江塾 新高校部の数学確認テストでも、満点が取れた

 

本人も手ごたえを感じだようだ

 

英語と数学だけは、先取り自学を親の監督の下でするように、
4日前から変えたけど、
昨日は、逃げ腰の空気がなく、自分から取り組んでいた

 

先取り自学で「勉強できない」に囚われ始めてしまったら、
「本人が8割 理解できる 教材」に変えてやる
そうすれば、「できる!わかる!」と本人が思える
そうすると、嬉しいし、楽しいから、取り組むのも楽しくなる

 

勉強が辛いだけの苦行にならないように
勉強がやりがいのある訓練になるように

 

そこは、自走するようになるまでは、
我が家では、親が頑張ってやる必要がありそうだ

 

*1:本人の学力のレベルに合わず且つ量も多く難易度の高い教材に取り組み、一部しか理解できていない状態

www.matsuejuku.com

*2:川越BASEのLINEグループで紹介されています

4/23 親単科を振り返って、三語短文を家庭の会話に導入する

4月23日の親単科は、久々にリアルタイム受講

 

三語短文の語は、うちの新高1生は、わかったつもりになっている

これは危ない

 

というわけで、朝食の会話のお題が

 三語短文のお題を作って、短文を作る

 その文章の状況を説明する

を始めてみた

 

口頭でやるから、字数制限なし

 

我が家では、一昨日に出されたお題を使うことにした

 

例えば、4月24日の中学生のお題で、今朝は話した

因果関係

観点

価値観

 

夫さんからは

 人が他人の行動の因果関係を判断するときの観点には、その人の価値観が反映される

 

具体的にはどんな状況があるだろう

みんなでネタを出し合う

 

縁日の露天商で、骨董品とか売っているお店で、お皿を買った人を見て、

損得に基づく価値観で観る人は、「あの皿は値打ちものだから、買ったのかな」

好みに基づく価値観で観る人は、「あの皿の色合いが素敵だから、買ったのかな」

 

いろいろと話してみた

 

好い文が出てくると 「座布団 一枚!」と 声が出る

今の高校生にもこのネタは通じるらしい

 

献立で悩む回数を減らしたら、弁当作りもなんとかできるようになった話

子どもが高校に進学したら、生活の段取りを変えることになった

 

電車通学

昼食は給食がないので、自前で用意

教科数は増える

帰宅時間は遅い

 

昼食を用意することが一番大きな変化だった

 

昼食をどうするか、だけを考えると問題解決が難しかったので、

思い切って、

夜・朝・弁当の3食分をまとめて考えるようにしたら、

半端な食材の使い途に困らなくなったのと、

考える回数が1日1回に減ったので、

かなり楽になった

 

弁当は、
主食のご飯を五平餅のようにすりつぶして、
ライスバーガーのバンスのようにして焼いたものにした。

食べやすいと、気に入っていたので、

今のところは、五平餅風円盤ご飯に、チーズとケチャップを載せて焼いたものにレタスを挟んで、ライスバーガーにしている

あとは、保冷剤代わりの、自然解凍で食べられる冷凍おかず

ふかしたサツマイモ

 

しばらくは、これで何とかなりそうだ

 

毎日シリーズを使い倒す!

すっかりブログ書きは、休み休みになってしまったけど、

絶対に毎日忘れずにやっていることがある

 

真島先生の、愛と工夫が詰まった、毎日シリーズを、
新高1の息子に必要なものだけを1枚にまとめて、印刷すること

 

入試が終わってから新年度になってからも、

毎日やらせていたのに、

春休みに、おばあちゃんちに泊りがけで遊びに行ってからなあなあになり、

新学期のどさくさに紛れてそのまま遅れ気味になっていたけど、

やっと、昨日、追いついた

 

勉強は、ある程度、本人の判断に任せる時期に来ているけど、

これだけは、必ず、やらせるぞ!

 

新高1の子どもにやらせたいものだけまとめた、customized毎日シリーズ

新高1の子どもにやらせたいものだけまとめた、customized毎日シリーズ

 

 

親単科 4/9 振り返り これ以上頑張れないくらい頑張っているからやりたくない

仕事の繁忙期と、新高1の子どもの新学期対応のあれこれが重なって、2週間近くブログを書かなかった、

というか、書けなかった

 

親単科の振り返りも、書こうとしていたけど書けなかった

 

4/9 親単科でお話があった、新学期の子どもの気持ちにちょっと共感

 

今までにないことに対応して、
あっぷあっぷしてて


ただ毎日 学校に行って、時間を過ごしてくるだけでも大変だろう

ただ毎日 仕事をして、学校から指示されるあれこれに対応して、お金払って、学用品を揃えて、書類を書いて・・・

 

これ以上頑張れないくらい、頑張ってたんだよ

 

ブログを書きたくなかったのは、
特に、親単科の考察をしたくなかったのは、

言語化したら、
学んだことを実践することに、
新しいことに
一歩踏み出さないといけない

と思っているから

 

これ以上 頑張れなかったから

書きたくなかったんだ

 

息子くん、

君も、

新環境での緊張の中、家くらいは安心できる場所であってほしいよね

 

しばらく書いていなかったから、まずは、ひたすら自分を観察して言語化するところから始めよう

仕事の繁忙期と、新高1の子どもの新学期対応のあれこれが重なって、2週間近くブログを書かなかった

 

書かないでいたら、

書きたいことはそれなりにたまっていたし、

松江塾 親単科の振り返りも書きたいんだけど、

誰に向かって書いていたのかわからなくなった

 

 

読んでくれる人がいることはありがたいけど、

一度、仕切り直しをしよう

 

 

自分の中にひたすら潜る

自分の中の海にいる、「思い」という魚を捕まえる

 

今は、自分のための言語化でいい

 

「好き」がなくて勉強していると、優秀な母集団で競争することになったとき辛いよなぁと思った話

松江塾では、
塾生の親御さんが「塾のこと」「子育てのこと」を語るブログを書くことで、
親子の現状のあれこれを言語化することが推奨されています。

 

様々な環境で、自分とは異なる年齢&異なる性格&異なる好き好き&異なるこだわりを持つお子さんと、真剣に向かい合っている親御さんのブログを読むことは、
 最高の看取り稽古!
と、日々の楽しみ。

この頃、時間が取れなかったので、今朝はまとめ読みしています。

 

こちらの蝸牛さんの記事を読んだきっかけで、私の心の海の中で、言語化された魚がおりました。

kagyuchang.com

 

オリンピックにしろ、テストの順位にしろ、
「○○1位」ってのは、
その人よりすごかった人が、たまたま、
選手時代が違っていたり、学年が異なっていたりしただけなんじゃない?

 

その人の下で、2位以下だったひとでも、
世代が違っていたら、
比較される母集団が違っていたら、
スバ抜けた1位だった可能性もあるんじゃない?

 

うちの中学でも、中1からトップ独走の子がいて、
万年2位の男の子が1回だけ1位をとったときに泣いていたなぁ。
その男の子もすごく努力家だったから、トップ独走の子と同学年じゃなかったらよかったね、と思ったことがあった。

 

私自身は、ある程度の地頭はあったけど、旧帝大までいけたのは、
4月生まれ+姉がいて教科書を未就学時代から自発的に先取り(お姉ちゃんと同じことしたい症候群)で、
プライドポイント(周りの子よりできる!)が形成されて、
勉強への努力を習慣づけたことのおかげだと思っている

 

自分よりはるかに優秀な、
勉強を努力してするものと思っていなくて、
「好き」「面白い」をエネルギーに、複雑な物理学の数式に取り組んでいける
そんな人たちを前に
あっけなく崩れたプライドだったけど

 

プライドは崩壊したけど、
自分なりの「好き」があって大学に来て学び、
今、自分なりの「好き」と「能力」にちょうどよい仕事に就けた
毎日 101%に成長しようと思って
日々生きている

息子は、新高1
入学式は来週だから、まだ新しい仲間には出会っていない

君も、「好き」をエネルギーに自覚なしに努力できてしまう子に出会えるといいね

 

アプリのアップグレードとか複雑なことに対処する能力ばっかりあげても、生きる力がつく気が全然しない

携帯の機種変更をしたらLINEのデータの引継ぎとかがいるのかぁ、と

今日、ふと考えたときに、

 

技術は、

人の暮らしを本当の意味で便利にしてくれているのか?

それを持ち込んだ人が利益を得られるだけで、

気付かないうちに、私たちは不自由になっているんじゃないのか?

と思った

 

人の暮らしが、

ほぼ自然界のルールのみに支配されていたころは、

人が、衣食住を確保していく上で最も気にするべきことが、

天候や、

作物の出来や、

家屋や衣類の状態や、

近隣の山や川の状態や

自分と家族の体調や気持ちとか、

もっとシンプルだったのではなかろうか

 

自然界のルールがある程度きちんと理解できて対処する能力を身に着ければ、

肉声が届く距離でかかわる人たちと素直に付き合うことができれば、

生きていけたのではないか

と思う

 

現代は、便利だし、娯楽も多いけど、

なんで、こんなに、生き物としては生きるだけなら、

正直どうでもよいことを対処しないといけないのだろうか

アプリのアップグレードなどに振りまわれることに時間を使う価値などあるのだろうか

と思った

 

セキュリティって何?

私たちは、何から自分を守りたいの?

 

こんなことが上手にできるようになっても、

生きる力がつくとは全く思えないんだけどなぁ

 

 

携帯電話のOSにしても、LINEなどのアプリケーションにしても、

人が作ったルールの上にあるモノたちは、

世の中を便利にしつつ、

不自由ももたらしていると、

ふと思う

 

さて、仕事に戻ろう

 

タイムマシンの旅 ー母校のある街を訪ねる

息子と一緒に母校がある街まで出かけた

 

目的地のターミナル駅に着いたら、鉄道大好き❤の息子は完全に別行動

ローカル線の旅に1人で行ってしまった

 

私は、1人で、ほぼ30年ぶりに、

かつて学び過ごした校舎の周りを歩き回り、学食で食事した

 

学生達の姿に、若さにあふれていた頃の自分を見る

友人達と過ごした日々を思い出し、懐かしさと羨ましさが綯い交ぜになる

 

ここで過ごした日々は、自分にとっては宝物だ

でも、ここは、もう、私の場所じゃない 私が輝ける場所じゃない

 

今の自分がいるべき場所、するべきことがある場所に戻ろう、と

過去に戻ったら、今の自分がはっきり見えた

 

あそこにいた時は、青春映画の登場人物のような時間を過ごせた気がするけど、

あそこで過ごした時間は、もう浄化されて、キレイなものだけが思い出に残っているに過ぎない

いつだって、その時なりの、喜びと、苦労と、天国と、地獄があった

 

 

うちに帰って、ただのお母さん&おばさんになった自分に戻って、

地に足をつけて生きよう

 

どこにいようが、どこに行こうが、

私はわたしであることは変わらない

 

おばさんの物語は、ヒーローはいらないのよ、

自らの力で輝くの✨

 

親も失敗するし、失敗をきちんと失敗と自覚する姿を子どもに見せるのはアリじゃないかな

松江塾では、
塾生の親御さんが「塾のこと」「子育てのこと」を語るブログを書くことで、
親子の現状のあれこれを言語化することが推奨されています。

 

言語化することで、
自分自身の イライラ や ワクワク や メソメソ や ウキウキ の本質がわかり、
本当に取り組みたいことがわかるから、
そして、
それを他の親御さんと シェアすることで、
もやっと感じていた何かを同じように持っていた人を刺激して、
それが連鎖反応的に言語化されていく

そんな面白さがあるのではないか、
と思っています

 

過冷却状態の液体・過飽和状態の溶液に刺激を与えると、一気に固まる
みたいな感じかなぁ
この仕組みも面白そうだから、あとで調べてみよう

 

先日、松江塾生の親御さんのブログ記事から 触発されて、
パシッと、結晶化され、言語化された、自分の中の疑問


自分も子供時代があったのに、どうして? 子どもの気持ちがわからないのだろう?

 

子ども時代の気持ちをもっと覚えていたら、
子どもとのコミュニケーションも、失敗が減るのかなぁ

 

 

失敗したくないなぁ
と、昔は思ったけど、

今は、
失敗したときは、「大人でも失敗する」ことを子どもに教え、
「失敗したときに大人として社会人としてどう振る舞うか」を教えるチャンス
としてもいいんじゃない か なぁ~
と思っています

 

子どもに対して、失敗したことをきちんと謝罪して、
きちんと埋め合わせたり償ったりすることを見せておく

 

この社会における「謝る」ことの難しさと大切さを強く感じたことが最近会ったので、
子どもにもそれを伝えたいと思いました

 

松江塾 高校部の 数学リニアの説明会が すごかった (内容は話しません)

我が家の新高1の息子は、中2の最後から、川越にある 「難関大学進学専門小中高一貫!爆裂松江塾 (受講開始当時は 小中がメイン)」を、オンラインで受講しています

 

松江塾で大切にしていることの 一つ

薄皮一枚 の課題を 毎日コツコツ続けること

 

それを実践することで、
地頭と小器用さで適当にやってきてボヤボヤっとした理解しかしていなかった息子も、
英数を核として理解の解像度があがり、
難関校まで手が届くレベルまで成長できました

 

高校でも 薄皮一枚 毎日 コツコツ 続けることで成長できる 「数学リニア*1」というすごい教材の 説明会に行ってきました

 

大学受験とは高校受験とどのようにちがうのか

そして、
それに対応するために、数学リニアはどのような教材になっているか
という話でした

 

松江塾 内部生の方だけ、期間限定で説明会の動画が公開されるそうなので、
新高1の方は、数学リニアを受講する予定はなくても、

大学受験を理解するために、

特に、高校受験との違いについて理解するために、

見ておくことをお勧めします

 

新高1の息子は、全力でメモを取りながら 真剣に聴いていました

 

大学で学んだことがあり且つ大学で学ぶ内容の深さ・広さを知っている大人からすれば、大学受験で要求される学力は、高校受験を突破した程度の学力とは天と地ほどの差があるのは、よくわかります

 

でも、高校受験が終わったばかりの子どもでは想像もできないことだろうから、数学リニアの説明会を聴いてよかったと思いました

 

*1:生徒派 という 個別指導塾の教材です
入塾される生徒さんの選抜は一切しないのに、個別指導で実績をあげている学習塾さん

www.matsuejuku.com

www.matsuejuku.com

夕飯の献立 明日の夕飯用に鶏むね肉を挽き肉にして重ね蒸し

久しぶりに夕飯の献立の話しです

 

私の慢性疾患である「夕飯を作りたくなぁい」病

今日は、夕飯の食材を買いにスーパーに行ったら、「雨の日サービス」でブリのお刺身がお買い得になっていました!

 

お昼ご飯が遅かったから、炊き立てご飯とお刺身だけでいいや

これで、一丁上がり!

としたいところだけど、そうは問屋が卸さない

 

なぜなら、冷蔵庫の中には、今日が賞味期限の、鶏胸肉がいる

 

寒いから鍋物にしておくか・・・

どうせなら、フードプロセッサで挽き肉にして、余っていた切り干し大根を混ぜて、白菜に挟んで重ね蒸しにしておこう

 

夜10時からよくこんな手間のかかることをするなぁ

でも、作り終わる時間に制限がない時のほうが気が楽だな

一晩おいたほうがおいしいから、いいってことにしよう